アイルランドのダブリンに生まれる
ダブリン大学トリニティ・カレッジ入学
学生時代のノート
数式やグラフの間に魚の落書きが。
ダブリン大学卒業
卒業後、イギリスのベルケンヘッド製鉄場に勤務
ベルケンヘッド時代のノート
彩色された精密な製図が数多く収められている。
工部省工学寮開校
工学寮工学校を工部大学校と改称
東京大学設立(法理文・医)
工部大学校着任
以後、機械工学、造船学を教える。
来日して最初の卒業試験問題
ウェスト在職中の試験問題は4冊のノートに残されている。
工部大学校から著作2点発行
著作のうちの1冊「Theoretical Indicator Diagrams for Compound Engines」
複式蒸汽機關に於ける蒸汽の分配、壓力の變化、等を詳細に計算し之を線圖にて表示する所の方法にして斯學を益すること尠からず。
井口在屋「故チャールスヂッキンソンウエスト先生の傳」(機械學會誌 第10巻第18号)より
東京大学が工部大学校を統合し、帝国大学に改組
ノート(年代不明)の見返しに富士山や帆船の絵とChas D West Kobu dai gakko Teikoku Dai gakko Tokyoの文字
1886年9月-87年7月の授業についての報告
本学年第一期ノ間ハ土木工學、機械工學、電氣工
學、造船學、應用化學及採鑛冶金學科第一年生ニ
蒸滊學ノ講義ヲ為セリ其大要ハ勢力及勢力ノ
源働力ノ單位、壓力ノ單位、馬力、ピストンノ速度、
膨張セル蒸滊ノ平均壓力、飽充セル蒸滊ノ壓力
ト温度ノ關係ヲ示ス經驗上ノ公式、瓦斯ノ重量
ヲ英及佛ノ單位ニテ示ス公式、蒸滊ト水トニ於
ケル容積ノ比較、シリンドルニテ用井タル蒸滊
ト滊罐ニテ蒸發セシ水量トノ公式、蒸滊ノ平均
有効壓力、凝縮機關及不凝縮機關ノ背面壓力、ド
パムプール氏機關ノ全低、抗力ノ公式、勢力ニ於
ケル力學的理論ノ大體、間隙ト膨張ノ割合トノ
關係等皆之ヲ實例ニ徴シテ説明セリ(中略)
最後ニ一言スヘキヿアリ現今ノ點數付與ノ法
ヲ變更スルヿ是ナリ現今ノ點數法タル甚タ不
充分ナルヲ以テ更ニ一百ニ付三十點ヲ及第最
下點トナシ實際其點數ヲ付與スルヲ好トス而
ルヲ唯タ名ノミ六十點ニスルハ自ラ緩慢付與
ノ弊ヲ来タシ隨テ不規則ナラサルヲ得サルヘ
シト信ス
(「工科大学年報明治二十年報」教師ウェストの申報より)
帝国大学を東京帝国大学と改称
一時帰国
1895-1900年の講義ノート
1898年3月14日の記述の後、Resume after nine months absence.の一文がある。この休暇でウェストはただ一度の帰国。
1905-1907年の講義ノート
ノートの記述は1907年12月9日で終わっている。ウェストはこの後の冬期休暇中に病を得、翌月に亡くなる。
肺炎のため東京帝国大学病院で死去
青山墓地に埋葬。
東京帝国大学工科大学前庭に胸像設置
台座の設計、周辺の配置は同僚の建築家ジョサイア・コンドルによる。
胸像は今も工学部1号館前に。
台座には製図器具、機械、造船所、蒸気機関のモチーフが描かれている。